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伝承に曰く、万葉の時代よりはるか昔、真間の入江に手児奈という娘が暮らしていた。その美貌ゆえ、数多の男に求愛されるが「我が身はひとつしかない」ことを悩んだ末に入水したという悲話である。万葉集には、高橋虫麻呂や山部赤人の他、「読み人知らず」の歌が5首ほど詠まれている。高橋虫麻呂の歌に「吾妻の国に古(いにしえ)より伝えられし」とあることから、万葉集の編纂を8世紀末としても、手児奈の時代はそれよりかなり溯る。下総国府が国府台に定められる以前からの伝承であろう。国府の役人によって、この悲話が京にもたらされ詩人たちの想像力を刺激した。まずは後世の創作と思われる贅肉を、この伝説からこそぎ落としていかなければならない。 |
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いわゆる弁天様、「弁財天」をキーワードに手児奈伝説を解釈してみよう。
では何故、弁財天が入水自殺と結びつくのであろうか。古来、水の神を鎮めるために巫女が水中に入るという儀式が行われることがある。注目すべきは山部赤人の反歌「勝鹿の 真間の入江に うち靡く 玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ」の「玉藻刈りけむ」の部分である。折口信夫によれば乙女により海藻(ホンダワラ)を刈る神事がかつては行われていたという。これらの儀式の原型は水神への処女の「生け贄」であろう。手児奈の時代に「生け贄」の風習が残っていたとは考えにくいが、この遠い記憶が入水に結びついたのであろう。 手児奈は「真間の井」の伝説など水にまつわるものとして語られている。その原型は水神である。いま手児奈霊堂の脇には池があるが、これは真間の入江の名残りであり、今も手児奈はここで儀式を繰り返すのである。 |
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| 虫麻呂の歌では手児奈の美しさを称え、男たちの求婚の様を描写しているが、やや創作文学的である。六甲山麓に処女塚という史跡があって、(うないおとめ)という美女の悲話が残っているが、手児奈伝説とほぼ同じ文脈である。ここでも虫麻呂は「私のために立派な男たちが争うのを見ると、たとえ生きていても、だれとも結婚すわけにはいきません。」と語らせ菟原娘子の死を美化している。神話などになぞられた、当時の恋歌のひとつの型であったようだ。ところでをテーマにした大伴家持の歌にも「八重波に靡く玉藻」という表現がでてくる。これは偶然の符号ではない。当時、巫女の隠喩として「玉藻」が使われたとすれば、手児奈も菟原娘子も男たちの手にはとどかない神聖な存在であり、それゆえ悲恋のモチーフになったのである。 手児奈は水の神に仕える巫女だったというのが、ここでの私の結論である。水への信仰が「入水」と「求婚」の伝説を生んだ。ただ、水辺の真間に、手児奈のモデルは存在したと信じたい。 |

手児奈が毎日水を汲みに
来たという亀井院の井戸