@じゅんさい池 真間台地と国分台地にはさまれた谷津の水源地帯。海はここまで入り込んでいた。
A手児奈 手児奈霊堂の脇に小さな池がある。これも真間の入江の名残り。この付近一帯は昭和のはじめまで、葦におおわれた低湿地帯だった。
B真間の継橋 真間の継橋は、「市川砂洲」と真間台地を結ぶ、板を渡したような簡単な橋だったのであろう。下総国府へ行く旅人は、江戸川を舟で渡って砂洲の市川宿(市川広小路あたりか)を経てから、継橋を通った。
C海岸線 Olympic(旧松坂屋)とグランドホテルにはさまれた歩道は、JR市川駅方向へゆるやかに下っている。これはかつての波打ち際だった。また大門通りを入ったワインバー「Feria」の前あたりから、真間の入江に向かって傾斜がはじまる。自転車ならこがなくても京成電車の踏切あたりまで走ることができ、市川砂洲の地形を体感できる。

 他にも、菅野郵便局のあたりからはこの浜に打ち上げられた鯨の骨格が見つかっており、今は市川博物館のホールの天井からぶらさがっている。また、京成の真間駅周辺はかつて「大砂原」という字だった。いまだに「市川市真間大砂原」という住所の書かれた表札をしている家をみることができる。このあたりは砂地で庭に草木を植えても育ちにくい土地だった。松だけは養分の少ない枯れた土を好む。徳川幕府は江戸城修復のための木材を得るために、市川に黒松をさかんに植林をした。これが市川の松の由来である。