(追加改訂04.02.15)
それでは、次にネット上でお知り合いにさせていただいた。林さんが指示する説をご紹介します。この方は私の手薄になっているヨーロッパでのゲームに相当詳しい方です。そちらにきょうみのある方は是非参考に訪れてください。 リンクのページにあります。
・タロットとジョーカーについて
タロットカードの大アルカナは後から切り札用の専用スートとして付け加えられたものだという説を支持しております。私が想像するに、最初は4つのスートの中から切り札を選んでいたはずですが、そのうち、切り札の決まり方が不公平だということになり、5つ目のスートを作ったのではないかと思います。実際、ヨーロッパのゲームでは、切り札の設定が複雑で、切り札を5つ目のスートと判断するゲームが多くみられます。ドイツの「スカート」や「ドッペルコプフ」がそうです。なぜ、切り札が21枚という半端な数字になったかは分かりませんが、ゲームを改良していくうちにだんだん枚数が増えていったと考えることも出来ます。
ジョーカーについては、確かイギリスのあるメーカーが「EXTRA」というカードを入れたのが始まりというのが定説だと思っていました。つまり、予備札だったということです。実際ジョーカーにワイルドカードの役割を与えるゲームのほうが多いように思います。
・スートの順列について
日本では主にスペード・ハート・ダイヤ・クラブという順列で表現されます。これはアメリカから入ってきたものだと思っていましたが、アメリカではスートの区別はないのですね。たしかにスートの意味的には軍、聖職者、商人、農民の配列ですが、アメリカではそれぞれの頭文字S,H,D,Cは英語のアルファベットを逆に並べたものだという説がありますが、これは不平等嫌いのアメリカ人のこじ付けかもしれません。
逆に、ヨーロッパのゲームにおいてはむしろクラブを最強のスートにすることが多いように感じます。さらにはジャックや10の方がキングより強いことも多いです。また、アメリカにもスペードやハートを悪者にするゲームがありますので、庶民の階級社会に対するささやかな抵抗という意識が根底にあるかもしれません。
日本では、歴史的に言って階級制度が強調された側面は否めません。カードが最初に入ってきたのは室町時代末期で、江戸時代初期までには庶民にも広まったはずです。まさに封建制度下です。次のブームは明治時代ですので、天皇を中心とした君主政治と軍国体制を認識させるには適当なゲームだったと想像できます。こうした背景から、日本では階級社会を象徴するイメージが強いのではないでしょうか。

このようにして大体のカードの起源は解明できたのですが、これも現在の時点での話でこの「アス・ナス」を生み出した母親はいるはずでまたその祖母、曾祖母もいるはずなのです。
このようにして考えればおのずから一つの仮説として、このカードともう一つのゲームの旗頭であるチェスは何処かで一体となっていてもよいはずであるということになります。
すなわち人間も猿もマンモスも恐竜も甲冑魚も全て生きとし生けるものは、あの厳粛なるダーウィンの生命進化の枝を降りてきたのですから、それを逆によじ登れば、必ず一つの偏在していた簡単なアメーバーになってしまうと言う結論と同じくしているからです。
ですからそのアメーバーを仮説だてることは有意義で現在あるこの種の仮説としては、原始人の矢占いから生じたとする呪術説(S.キュリトン)
古代インドの「チャトランガ」と呼ばれるチェスの原型とされているゲームに由来すると言う説(W.ジョーンズ)。エジプトの神秘哲学に起源すると言う説(クールド・ジュブラン)等々あります。
しかしながら、私自身の言えることとしては、おそらくこの仮説が全て事実であり、それはちょうど生物がたった一個のアメーバーから生じたのではなく、地球の偶然が地球上にいたるところに同種または異種のアメーバを生じさせ、それぞれが進化していったように当時、地球上に遍在していた人間が自分勝手に時期的には、大体、衣食住が足りる階級が発生したころ、地球上のあちらこちらで同時に自分の運命を一枚のカードに表し、またその運命の取引する欲望に駆られてこの数理秩序のあるカードを発明したのではないかと思うのです。
(アス・ナス)
ところで現在では大体の見解を、カードを使ったゲームをどこまであの進化表を遡れるかにかかって、現在発見された考古学的見地ではその発生地を古代ペルシャとしています。これにはカード研究家は大体の焦点として認めています。
そのカードを使ったゲームとは「アス・ナス」と呼ばれており、奇遇にも現在のAce エースの語源はおそらくこのアス・ナスすなわち「アス」ではないかというところまで絞られています。
さてこの数千年前のカードゲームの内容は、面白いことに現在世界的に普及しつつあるポーカーと酷似しているのです。学者の説明によるとそのゲームの内容はだいたい1から5までのかくじ5枚のカードを使用していて、この5枚のカードには共通の模様が入っておりその模様はその人によって違っており、各自が自分独特の模様、おそらくは家紋的な札を1から5までの一組を用意したのです。そしてそれを4人でプレイする場合は都合4組20枚のデックとして配り手が各プレーヤーに5枚づつカードを渡してからはじめて自分に配られた札を見てしかる後になにがしらの賭けに入ります。
このゲームではフォアカードが最高位で次にスリーカード、ツーペア、ワンペアと続きます。しかしフラッシュやストレートなどの複雑な役はありませんが賭け方にはコールやレイズ、ドロップなどあり現在のポーカーとあまり差異が無いのです。
(ジプシー タロット)
カードの歴史を追及していく過程で一つの面白い問題が表れます。つまりそれはカードの呼び名で日本では一般に古くはうんすん歌留多、現在ではトランプと称していますが、先ず歌留多という呼び名は、鎖国以前来訪したポルトガル人がカードをcartaと読んでいたのを日本人が歌留多と発音を聞きそのまま歌留多という文字を当てはめたことによります。
次にトランプの呼称は、明治の開国時に外人たちがカードゲームの中で最もポピュラーであるブリッジ系のゲームをプレイしていた時にtrump
つまり切り札とさかんに発声しているのを日本人が語彙を錯覚して本来の切り札の意味であると解せずにそのカードそれ自体の名称であると思ってしまったことによります。以来現在に至るまでカードのことをトランプと一般には称せられていますが、これはわが国だけの一般通称であり国際的通意性はまったくありません。欧米では
cards すなわち紙束つまりか紙札の複数形でありカード自身の固有名詞にもなっています。
さて話を15世紀のヨーロッパに話を戻します。当時現在のカードに類似した一定秩序のある札束をタロットと総称していましたがその中でジプシーの使用していた、ジプシータロットはジプシー独特のカード占い(カルトマンシー)に使用されていました。このカードには大アルカナと小アルカナの二種類に別れ、大アルカナが22枚(これをアツウと呼ぶ)、小アルカナが56ないしは52枚ありそれぞれ4つの種類から成り立っています。この小アルカナのほうは、エースから10までの10枚に王(ロウ)、王妃(ダーム)、騎士(シェバリエ)、従僕(バレ)の4枚が加わったもので、このうち騎士を除くと今日のカードと同じく52枚になります。そして大アルカナのアツウ(寓意画)が現在のジョーカーになったのではないかと思われるわけです。
又タロットでは現在の4種類のスーツすなわち「ダイヤモンド」、「ハート」、「スペード」、「クラブ」、は18世紀まで別の呼び名が使用されていました。すなわち「貨幣(ドニエ)」、「剣(エペ)」、「棍棒(バトン)」、「聖杯(クープ)」、がそれにあたり、この4つの種別は当時のヨーロッパ社会の4階級を寓意していて、貨幣は当時の新興階級である商人を象徴し、次に百姓の道具である棍棒は絶対数の多い農民階級を表し、聖杯は知識人でありヨーロッパキリスト教の権力者階級である僧侶階級を、そして剣は武力大権の絶対象徴である王侯ならびに騎士権力者階級を寓意していると言うことになるわけです。
ところでこれらの種別呼称は当時興勢のフランス文化圏によってフランス語に変化していくのですが、すなわち貨幣はキャロー(四角の意味)、棍棒はトレーフル(三つ葉の意味)、聖杯はクール(心臓の意味)、剣はピック(槍の意味)というぐあいにおちつきました。
このようにフランス語の意味で解せられるようにげんざいのカードのマークが大体フランスにおいて例のシャルル6世の時代から18世紀にかけて確立していったようです。
ところで棍棒が三つ葉になっていった過程で一つの面白い話があります。それはタロットの棍棒の図柄にはちょいちょい三つ葉が棍棒に張り付いていたのです。ですからおそらく棍棒が三つ葉に移っていったのにはこのことがある程度影響していると思われます。
さて現在我々が日用なじんでいる「ダイヤモンド(金剛石の意味)」「クラブ(棍棒の意味)」「ハート(心臓の意味)」「スペード(槍の意味)」はこのカードが新大陸に渡り現在の形態を確立したアメリカでこの呼び名の確立を見たわけです。しかしながらここでも面白いことはよくクラブのことをクローバーと呼ぶ人がいますが、それは決して見当違いの呼び名ではないと言うことでむしろスペードを英語のspade(鋤)に由来すると考えるほうが誤りなのです。なんとなればこれは英語に由来するのではなく、スペイン語の「剣」を意味するspedaから来た言葉だからです。以上のように現在のカードの形態が大体はこのジプシータロットに由来しているようです。しかしながらジプシータロットこそがカードノ母体でありジプシーがヨーロッパ放浪中に各地に伝承させたとするのは実は早計で、それ以前すなわちジプシーがヨーロッパを放浪した15世紀初めより以前にすでにヨーロッパには前述14cフランス王の話があり、またジプシータロットは単に当時あるタロットの中で特異に別称されたカードであってその母体も必ずあると考えてもよいことになるわけです。
カードについての歴史的考察は、チェスについての研究と並び世界的に諸説紛々としています。そもそもこの二つのゲームは全てのゲームの原型的地位にいるため、数千年にわたる進化を我々が枝葉末節より数少ない文献などに首を突っ込み塵を吸って研究してもその進化表を全て解明するにはまだ時期的には尚早で、その解明には次世代の考古学が担うと言っても過言ではないと思われます。
さて私が知りえたカードの歴史は、17世紀に入ってやっとその研究に手がついたということです。当時フランス人のムネスト リエという神父がたまたま1392年度王室経理帳簿を調査中、次のような事項が記載されていることを発見したことによります。
「画家ジャックマン・グランゴヌール 宛。 品目 国王慰安用の金色ならびに諸種の彩色によるカード 三組。」
ここに記された国王とは、当時の近親結婚の悪弊によって狂気になった、フランス王 シャルル6世(1368〜1422)のことでおそらくはこの国王のために側近が宮廷画家であるグランゴヌールに命じてカードを作らせたのだと思われます。この事実により現在でもヨーロッパ人の多くはカードの発明者を14世紀のフランス人の宮廷画家であるジャックマン・グランゴヌールと主張しています。
しかしながらヨーロッパのあちらこちらから、このカードができた14世紀以前に作られたと思われるカードが多く発見されるに至り、また前述の経理帳簿記載事項もカードを発明せよという命令と解釈するよりも むしろ今まであるカードを新しくデザインないしは改良してくれと要請しているのではないかという見解などにより、現在では否定的になっています。また我々にとっても又客観的に見ても素晴らしいゲームの芸術品がたった一人の画家の個人的才能によって生み出されたとは信じがたいことです。
これから、ご説明する文章は、もう35年ほども前の文章ですので、いかんせん若くてはりきりすぎの文章です。ですから書き換えればよさそうなものなのですが、今更、どうもそれだけの情熱がわかないのです。ただ当時懸命になって書いていた自分に再会するのも悪くないので、そのままUPすることにしました。
カードの歴史