「自然に、」とは大きく出たものです。そして、西洋人に言われて、若い私は面食らったのです。
 私は日本人です。自然観そのものが、西洋人とはまるで正反対です。西洋風の考えとは、まず人間です。
 パスカルが発した。「人間は考える葦である。」以来、人間の自立と、自己認識とその存在理由、そして、人間であることの尊厳。
 これについての議論が多く、自然は、いつかはコントロールされるであろう、という認識でしかなかったのです。自然は、人間の背景に過ぎないのであり、いつかは、整理がつくという考え方なのです。ですからどうしても人間と自然が、対立関係になるのが、西洋風なのです。
 ですが、我々は、共存を選んだのです。そして自然界に魂も、肉体も、聖なるものも、すべて溶け込ましてしまう、という生き方をずっとしてきたのです。死生観そのものが、彼らとは根本的に違うのです。
 で、ヴァーノンに出会って、なにお!と思ったのです。このアングロサクソンにそんなことを面と向かって言われるなどと思っても見なかったのです。
 単なる奇術師にその言葉を吐かれて、正直言葉も出なかったのです。
”Be natural”とは、よくも言った、この言葉は、くやしいけど我々こその、日本人が発しえなかったことに、もう慙愧に耐えん。
 マジックは、今後人類が検討に入っていく、非常に大きな課題だと信じているのです。
 そして、この言葉の重大さに多くの思想家がきずく事が必ずあると思うのです。単なる、演技指導に過ぎなかったのかもしれないのですが、どうもそうではないと言う気がしてしょうがないのです。
 それで、この話をします。
 彼の傑作の中のひとつに、今では、基本中の基本とされている、カップと玉の手順があります。
 その中で、彼は本人創案のリボルブ バニッシュと呼ばれる、玉を消す方法を披露するのです。
 左手に持っている玉が消えるのですが、このメカニズムが凄すぎるのです。私は、天洋の招待で30数年前に来日した時の、天洋のレクチャーでやったのを、ビデオで見たのです。
 まさか、立ち芸でやるとは思っても見ませんでした。しかもミカンを左手に持ったのです。
 そして、右手がウォンドを、斜め上方からくるくると回り、そのウォンドで左手を軽く叩くと、ミカンは消えているのです。
 もちろん、見ている全員がやり方を知っています。それなのに、ふーという溜息が漏れたのです。
 すると、何を思ったのかヴァーノンは、同じことをもう一度、同じようにやったのです。
 そうしたら、寸分たがわず、またもや消えたのです。皆、やり方知っているのにです。
 それなのに、解らないのです。皆が皆あっけにとられ、口をあんぐり状態になり、拍手することすら忘れ、そのためヴァーノンは、失敗したかと思い、2度も同じことをやったのです。
 ですが、2度ともものすごく見事なできばえだったのです。このやり方を知っている人間がこれほど多いのに、なにが解らなかったかと言いますと、それは、いつ消えたかが解らなかったのです。
 なんか時間がずれた?!そんな印象の中で、ますます、彼の本当のやりかたがわからなくなっていったのです。
 物知り顔の客達は、パニックに陥っていったのです。まったく冗談ではなかったのです。生で魔法を見る、冗談ではない。今は20世紀である、いくらなんでもそれはヒドイ。
 もう拍手どころの騒ぎではなかったのです。解ったような、人たちの中からパラパラと拍手が沸いてきたのですが、どうも皆、困ってしまっていたのです。
 これが、ヴァーノン芸術の衝撃なのです。
 さて、それでは、これを説明します。たかがマジシャンと侮る無かれ、彼は、右手でウォンドをまわしながら、動かしたのですが、その右手が等加速度直線運動を、地球重力方向、つまり鉛直方向に、1G(1ジー)で加速して動いたのです。
 これが何を意味するかお解りでしょうか。これは、右手が、落下運動をしているのと同じ、モーションなのです。
 ここまで言えばお解りでしょう。その右手の影でミカンも、落下しているのです。手とミカンは、相対速度は0になりますから、ミカンは見えないで、時間がずれて、右手の中に入ると言うわけなのです。
 それでですが、とんでもないことを言います。これ、一般相対論の表現模型になっていませんか??物体が空間をシンクロして移動すると、時間がずれる。と言うのは、なんか、そんな感じがしてしょうがないのです。
 凄すぎるでしょ、この私の相対論説は、違ってはいるとは思うのですが、そこまで考えさせると言うのは、もう狂気の沙汰ではない、天才の沙汰です。
 物体の落下運動を消失現象に変換するなどとは、全くとんでもないことで、それは人間にしかなしえないことです。
  自然現象の中で一番基本的な力、自由落下を利用しようなどと、彼にしか思いつかないことなのです。
 私がなぜ解ったかと言いますと、もうショックのあまり、おそらく30年はそのことの答えを探したからなのです。
 さて、最初に戻ります。「自然に、」。彼の言葉のこの意味の深さは、今や、その広がりまで見せて、拡大しつつあるのです。
 そして、皆さんよく考えてください。本当に種も仕掛けも無く、このようにして空中でミカンが消えたと言うことは、一体全体、魔法と何処が違うのでしょうか。
 それは、呪文が無いとか、煙が出なかったとか、かえるのおしっこを使った薬が無かったということに過ぎないのではないでしょうか。