(追加改訂)04.05.14
信じられない、ありがとう。手に入りました。うれしくて、うれしくて、今晩は、酒盛りだぁ〜と言いたいのですが、飲めません。
久しぶりに、うれしい。そう、モモが我が家に来て以来か?これは、春から縁起が良いぞ。そうだよ、少々、逆風だったのです。ここの所、ついていない事が多すぎたのです。
お声をかけていただいた方、本当にありがとう。インターネット 万歳。ようし、ますたーするど〜。
この本は、実は絶版になっています。私が冬眠中に出版されていたので、そのいきさつすら知りませんでした。
木先生も後押しなさっていたそうですが、まさか全訳本ができるとは思っても見ませんでした。
それで、探しました。探しに探しようやく図書館で発見したのです。
一万円で買うから売ってくれと、図書館員に交渉して粘りましたが、だめでした。私がうだうだ能書きまで言い出すので、上司の司書の偉い人まで出てきて丁重に断られてしまいました。
仕方が無いので、全頁を写真に撮りデジタル化させましたが、いかんせん素人写真でもうページが滅茶苦茶です。
どなたか、満足のいく方法ないし、原本を売ろうかなどと思っている方いませんか。
この本には、因縁浅からず私が小学校たしか二年生のころ、叔父さんに生まれて初めて見せてもらったカードマジックが載っているのです。
そして、それはずうっと私のレパートリーにチャンと入っているのです。
表題は「カードを客の手の中に残す」です。これは、テイクワンの傑作として、この世界の人間で知らないものは無いという作品です。
この部分だけのように見えますが、ページ数はこちらが圧倒的に多く、事実上こちらがメインです。
}





1902年、一冊の奇妙な本が世に出ました。
"THE EXPERT AT THE CARD TABLE "は100年間、全てのカーディシャン達のバイブルとして、アメリカのみならず、世界のカードフリーク達の上に君臨してきたのです。
日本では、まだ夏目漱石が現役バリバリの時代であり、本国アメリカでは、まだジェロニモが居留地で、存命中だった時代です。
そういう時代の中、不思議で強烈な情熱を持ってそれは著されたのです。
挿絵は、おそらくプロの絵ではありません。その勘所をとらえた描写は、彼自身のペンによると思われます。
著者の名は、S.W.ERDNASE(アードナス? エルドナス??)この作者の正体が、長年本国アメリカでも判らなかったのです。
私のこの原書は、ルイス タンネンで発行している本で、CARD
MASTERY と合本になっている本です
2ドル50セントのこのペーパーバックスは、リーダスダイジェストでも紹介され、そして、日本では、1989年、東京堂出版から、完訳本が出版されたのです。
その内容は、史上初めてのプロのギャンブラーによる、カード テクニックの具体的な解説書だったのです。
内容は、6割がカード ギャンブルのチーティング(いかさま)の現実的ノウハウが、のこりの4割が、カードマジックについてかかれています。
この本の構成から、アードナスとは、プロのギャンブラーと、マジシャン二人の合作ではないかと言う説が最も有力な説だったのです。
そして、100年がたちました。
アメリカで理論物理から哲学、パズルからマジックまでを、自分の好奇心の思うまま、多才な研究をする人物が現れました。まるで、ルネッサンスのレオナルド・ダ・ビンチのような人です。
マーチン・ガードナーこの人が、探偵の如くアードナスを追い詰めたのです。
ところで、戦後の日本に二人のこの世界では有名な人が現れました。東の高木 重朗。西の松田 道弘。
この世界で高木先生を知らないカーディシャンがいたら、もぐりです。
そして、和製のガードナーこと松田 道弘さんの著作を一冊も読んだことの無い人は、今からすぐに図書館に行くことをお勧めします。
彼が、ガードナーの説を日本へ紹介したのです。
それは、おどるべき内容だったのです。
まずはその、著者名から始まります。
S.W.Erdnase とは、馴染みの無い日本人の我々が見てもおかしな名前です。
アードナスなのか、エルドナスなのか、その発音の仕方そのものも、我々では解りません。
そこで、この名前を、そっくりひっくり返します。するとE.S.Andrewsとなるではないでしょうか、こうだとすると我々日本人にもわかります。
ファミリーネームがアンドリュウースで、ファーストネームがおそらくエドワードあたりかという具合にです。
そして、出てきた実像というのが、これがまるで、怪人二十面相なのです。
本名は、ミルトン・フランクリン・アンドリュウース。身長は6フィート半、目の色はグレー、髪の色はライトブラウン、でウェーブしている。同じくライトブラウンの口髭、体重131ポンド、実際より長身に見える。ベストドレサー。
まるで、手配書のようですが、これはコロラド警察の1905年の2000ドル賞金付の正真正銘の指名手配書なのです。しかも殺人犯の。
アンドリュウースは、この年(1905年)サンフランシスコの安宿で情婦と逃亡中、警官二人に踏み込まれ、相手の女性を射殺して、自分もピストル自殺をしたのです。あと三週間すれば、34歳の誕生日でした。
我が師は、夭折していました。もうすぐ、百回忌になろうとしています。私は、彼の悲劇性に心を打たれてしまったのです。
異邦人である、私は、この書に魅せられて、35年、好きだからこその研鑽を積んできました。
一度でよいから話がしてみたかった。